• 核廃絶の展望を切り開こう!2024原水爆禁止世界大会in広島

    原爆投下から79年の原水爆禁止世界大会が広島で開催され、全国から3千750人が参加。県内の民商からは神商連の山岸勇副会長はじめ10人が、県内の代表団(221人)と参加し、2日間学び行動しました。

    開会総会では、実行委員会から提起された「広島からのよびかけ」が採択され、国連から中満泉軍縮担当上級代表、メキシコ、カザフスタンの政府代表、各界からスピーチが続きました。日韓の被爆者、マーシャル諸島代表が被爆の実相を語りました。

    来年の被爆80年に向け、核兵器禁止条約を力に核廃絶の展望を切り開く大会となりました。

     

    森幸子さん 大和民商婦人部

     

    原爆が広島・長崎に投下され79年目の夏、原水爆禁止世界大会に参加しました。

    分科会では「原発ゼロをめざして」で学びました。福島など、沸騰水型軽水炉は、潜水艦と同じだから、深海に沈めれば安心。福井の高速増殖炉「もんじゅ」の危険性、ナトリウムの危険性が語られました。

    ウランを日本に売りつけたのはアメリカです。プルトニウムは核兵器と転用可能です。恐ろしい限りです。

    なぜ日本は、放射線被害を過小評価するのでしょうか。晩発性放射線障害もあります。福島には、援助があるのに、宮城の女川にはありません。女性ネットが独自で健康診断をやっているそうです。

    広島の被爆2世の女性の方が、英語を勉強してアメリカに留学しました。その時に、アメリカの子ども達は、2つの原爆を落としたことで大戦は終結したと学んだ事を知りました。

    戦争は武器でお金儲けのためにあるのではなく、民族の争いでもなく、不幸を生んでしまします。皆が平和について語り広めていける事を願っています。

    最後に8月6日の広島閉会集会で全国より集まった高校生たちのバトンリレーを見て勇気をもらいました。 

     

    下田利江さん 横須賀民商婦人部

     

    被爆者の方のお話を直に聴きたくて、「ヒロシマの声を聞こう」の分科会に参加しました。お話しくださったのは爆心地から1・2kmに住んでいた三戸さん。当時4歳でした。治療と称して三戸さんの沢山の写真を撮った(治療は一切せず)、ABCC(原爆傷害調査委員会)。二世のお子さんのところにまで調査の依頼が来ることに怒りを感じました。

    碑めぐりでは、原爆が炸裂した真下にあって、強い光線の影が台座の下に跡を残した地蔵さま。コンクリートの中で炭化している木の柱や元安橋の熱戦を浴びた側は、石の中のガラス質が溶けて滑らかでした。その熱さの中に人々がいた……、という事を想像してください、地獄絵です。

    今現在、9583発の核弾頭が世界にあると聞きました。広島で「1万発以上」と聞いていたので減ってきたかと思いましたが、性能の上がった核弾頭に置き換わっているとのこと。

    私は「戦争」って世界からなくならないと思っています。でも『核兵器』はなくさないといけないと思います。1日でも早く核兵器のない世界を作るため、広島での経験を活かして平和活動続けたいと思います。

     

    橋本奈穂子さん 茅ヶ崎民商婦人部

     

    初めて見た原爆ドーム以外にも市内には、原爆遺構として当時の建物が残されていて、原爆の被害が、実際のものとして身に迫ってきました。

    命が助かったにもかかわらず、病気、差別、偏見、そして肉親を亡くしたことからの経済的困窮という経験を世界大会の壇上から被爆者の方々が語ってくださいました。核兵器の凄惨さを次世代に伝えるために、永久保存すべき体験談でした。そんな中、話を聴きながら思い出したのが、民商の信条としてよく言われる『平和でこそ商売繁盛』は、毎日の何気ない生活は平和によって成り立っているのだと改めて思いました。

    大会に参加して、同じ思いの人が大勢いることが確認でき、また、一人の参加者の後ろには、送り出してくれた多くの仲間の存在が見えました。

    実家の片付けをしていたら、「戦争だけは絶対にダメだ」、と亡くなる数日前に書いた父のメモが見つかりました。平和の尊さを多くの人にわかってほしい。さて、どうやって伝えましょうか。

7つのまちがいさがし

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