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話し合い重なれば、一致点が広がる実感 県内31自治体と民商・神商連が懇談
民商・神商連は16年「秋の運動」で県下34自治体中31自治体と循環型の地域経済振興について懇談。このとりくみは昨年に続き2度目です。「町の職員と中小企業診断士が製造業の小企業を訪問している」(寒川町)、「適切な施策を推進するため、今年度、2600社の中小企業・小企業の経営実態調査をおこなう」(神奈川県)など具体的な話し合いを重ねれば一致点が広がる手ごたえを感じた行動になりました。
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2017年 明けましておめでとうございます。 県連会長 鎌田 保
今年は酉年です。2月の全国会長会議までに全商連第52回総会時現勢を読者と会員で突破しましょう。
昨年を振り返りますと安倍政権の暴走は年金削減法、TPP、南スーダンへの自衛隊派遣、19年10月の消費税10%への増税法の強行採決など数のおごりで私たち国民の生活と立憲主義・民主主義を打ち壊してきました。断じて許すことのできないことばかりです。国外ではアメリカの大統領にトランプ氏が選ばれ、イギリスのEU離脱、韓国の大統領の問題など、予想を超えた事態が進んでいます。
私たちは「民商・全商連の基本方向」と総会方針を2回の幹部学校で学び合い、どんな問題でも、仲間同士で集まって、話し合い、相談し、助け合って営業と生活を守り、そして運動の根幹に商工新聞を据えてがんばってきました。また、哲学を持って商売をつづけ、科学の目で社会を分析して、なによりも地域を活動の拠点としています。人々に信頼され、信を礎として、商売人の誇りを持って生きています。
今年こそ憲法による人間を大切にする政治をたたかいとり、安倍政権を倒して民主連合政府を樹立しようではありませんか。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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地域経済活性化で話はずむ
葉山町では山梨町長が対応。リフォーム助成制度の限度額を20万円から5万円以上に引き下げるなど「リフォーム助成制度を拡充しました。広報に力を入れています」と説明がありました。清川村では住宅リフォーム助成を平成23年から当初2年間の予定でしたが、地域の活性化に役立つと今も継続しています。二宮町もすでに6年間継続され、「16倍以上の経済効果が生まれている」と懇談の中で明らかになりました。
川崎市との交渉では工務店を営む会員が「個人宅の小規模工事を地元業者が受けやすくしてほしい」と要望。市は「5項目の要件を満たす事業者として応募してもらい、川崎市と『住宅工事の契約における消費者トラブルの防止に関する協定』結んだ事業者を市のホームページなどで紹介している。協定店にはステッカーも交付しており、宣伝に利用してほしい」と回答。
要望した会員は「これで仕事がとれるようにがんばりたい」と感想を話していました。
横浜市は昨年の交渉では「商店街も新陳代謝は必要」と話していましたが、今年は「小企業・家族経営が維持発展していけるように支援していく」と態度が変化。再度補助金などの利用について、懇談をおこなうことになりました。
県では「横浜の施策を参考にして、公共事業の地元中小業者への発注を優先し、件数と金額を部局別、地域別に明らかにしてほしい」と要望。「優先発注はしている」と回答し、件数と金額を明らかにする点では「担当がまたがるので、局として調整して回答する」としました。 -
実態を示し、納税緩和措置を要求
税金・国保料(税)の徴収問題では真鶴町で「払いたくても払えない税・国保とは納得できない」と回答。事業所得360万円の業者が所得の4割を税・社会保険料として負担している実態を示し、納税緩和措置の活用を訴えました。
小田原市では「法律を踏まえてやっている」と回答。そこで「徴収職員1人の担当者が扱う滞納件数は200件以上になると機械的にならざるを得ないのではないか?」と質問すると「督促状、催告書などを送り、返事のない者は資産調査を実施する」と納税者のくらしの実態を調べずに徴収業務がすすめられていることが明らかになりました。
この問題では多くの自治体で「窓口に来ていただければ、生活状況を把握して、生活を守る立場で対応する」と回答。制度を活用して、くらしを守る為にも実態を示して、要求していくことが求められています。
山北町では副町長が対応。「消費税やインボイス導入による影響はみなさんの言うとおり。いろいろな機会をとらえて国に話をする」話しました。中井町で対応した杉山町長は法人税の減税で企業に還付している実情を話しました。
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議会を変えて、貧困をなくす税制に 11月27日 税制のあり方シンポ
民商県連も参加する消費税廃止神奈川県各界連絡会は11月27日、「憲法に基づく税制のあり方」を考えるシンポジウムを横浜市内で開催。13団体96人が参加しました。このシンポは格差と貧困の拡大と税制のあり方を考え、野党と市民の共同の一致点を広げることを目的に開かれました。共産党、社民党、自由党と神奈川県生協協同組合連合会、神奈川県保険医協会からメッセージが寄せられました。
医療・労働・年金者・業者の分野から4人の方が暮らしの実態を報告しました。
汐田総合病院の小川正志さんは、「私の病院では物品にかかわる消費税を年間1億2〜3千万円支払い、経営を圧迫している」と紹介し、消費税を上げながら社会保障改悪を加速するやり方を批判しました。
ユーコープ労組の安部栄子さんは、配偶者控除の額が低いために、人手不足になっている現場の状況を紹介し、社会保険料の拡大で「年金が保障されるか疑問に思っている組合員が多い。負担増に対する適切な対応が必要」と話しました。
年金者組合の鈴木久夫さんは、国会の現場で実際に見た「年金カット法案」の審議の状況を紹介し、「戦争する国づくりと社会保障解体は同じ道。許してはならない」と強調しました。
神奈川県商工団体連合会の下谷清人さんは、商売の状況を話し、「個人事業主の60%は年収300万円以下。税・社会保険料を払えていない業者も多いが強権的な滞納回収が行われている」と告発しました。
報告を受けて、立正大学客員教授の浦野広明税理士が講演。「憲法では生存権を保障するために、税の負担について応能負担原則をとっており、消費税のような一律の負担は憲法に反する」と強調。使い方の点では「すべての税は福祉目的税」と強調し、「医療保険料を取りながら、窓口でも負担する国は日本と米国だけ。窓口負担ゼロが当たり前」と述べました。そして、「税のあり方は議会で決まる。議会を変えるとりくみが大事」と述べました。
また、浦野氏は「自公民で三党合意された消費税増税法は施行前に経済状況を勘案する経済条項が入っていた。これを廃止し、三党合意を破ったのは自公政権であり、民進党は縛られる必要はない」と訴えました。 -
倉敷民商弾圧事件 総会で禰屋さんが講演(12月8日)
倉敷民商弾圧事件・無罪を勝ちとる神奈川の会は12月8日、かながわ県民センターで第2回総会を106人の参加でおこないました。この総会では法人税法違反と税理士法違反の被告とさせられた禰屋町子さんが弾圧の様子、なぜ、黙秘をがんばれたのかなどを講演。「家族と仲間の助けでがんばってきた話ですごいなぁと感動した」などの感想が寄せられました。
禰屋さんは「拘置所は3畳一間で暖房、冷房がなく、麦ごはんで8キロ痩せ、寒さが大変だった」と428日間の生活を紹介。なぜ、黙秘をしたか?「捜索の日に夫が『これは弾圧だ』と話し、子どももわかってくれると確信が持てたから」と話しました。「取り調べの公安警察官が『上からの命令でしゃべらないのか』と問う目が充血しているのを見て、上司から叱られている相手の弱さを冷静に感じ、黙秘に確信を持った」と報告しました。
禰屋さんは検事が税法を理解していないこと、裁判長が検事を助け、禰屋さん側の証人はすべて却下する一方、検事側の証人は全部認めたことを紹介し、「私をどうしても有罪にしたいと感じた」と話しました。「沖縄・高江など国民のたたかいをつぶす安倍政権の強権政治と弾圧を打ち破るため、署名で世論を広げてほしい」と訴えました。
総会では運動の到達点と課題を全国の会の鈴木猛さんが、小原・須増裁判の内容を森卓爾弁護士が報告しました。行動提起、役員名簿などが提案され、拍手で承認されました。「私たちが逆に励まされた」と感想が寄せられています。 -
深秋の武蔵野へ 戸塚民商
11月27日、戸塚民商は「秋の運動」目標達成を祈念してバス旅行を行いました。
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商売・人生を語る
「市の許可をとって信用を広げて」三浦民商 中嶋 照幸さん
有限会社 中嶋商店 三浦市南下浦町上宮田3388番地 TEL:046-888-0233昭和58年頃、リスボン運輸に勤めていましたが、兄の知り合いで市役所の当時の環境事業課に勤務していた人に勧められ、廃棄物最終処分場での資源物の収集運搬の仕事を始めました。
当時の確定申告は商工会議所で言われるがままにしていました。ここでは詳しくは教えてもらえず、たまたま見た三浦民商のステ看で民商を訪ね入会しました。平成元年の冬でした。
民商に入会後、仕事も順調になり税金の額も多くなってきたので、平成4年6月に拠嶋商店を立ち上げました。その年の民商の総会で理事になりました。
三浦市が事業系のごみを有料化し、収集運搬を許可業者に委託しました。さっそく三浦市の許可を取りこの事業に参入しました。その後、市役所の委託業務も増え、順風満帆とはいきませんが倒産することもなく現在まで頑張ってきました。
会社勤めをしていた頃は労働組合の争議や集会にも知り合いに頼まれてよく参加しました。そんな事もあり、微力ですがお手伝い出来ることがあればと頑張って参加しています。
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ふいごとそろばん 横浜緑民商 小江 一望さん
私は昭和16年、満州大連で三人兄弟の長兄として生まれ、23年3月、両親の故郷広島県因島に引き上げてきました。瀬戸内海の温暖な地で、高校2年まで海と共にのびのびと過ごしていました。父の仕事(船乗り)の関係で横浜・鶴見に転居。卒業後は、父の後を継いでと思いましたが生来の勉強嫌いで断念。43年に神奈川プリンス自動車に就職し、約10年間セールスマンとしてそこそこの成績を上げてきました。(もう少しがんばっていれば、横浜市長になれたかも…!?)
▼その後、義兄がセンター北駅近くで建築事務所を開設し、手伝うこととなりましたが、大手ゼネコンの介入で仕事が減ってしまいました
▼友人の紹介でクリーニング業に転職して40年、現在に至ります。機械を持たずに取り次ぎ専門で自分は外廻りをし、妻が自宅店舗で受付をやっています
▼最近はお寺さんの法衣クリーニングに力を入れています。特殊な分野ですが、セールスマンの経験を生かし、徐々に注文も増えてきています。不景気でクリーニング衰退の中ですが、発想を転換し、なんとかがんばっていこうと思っています。