【神商連しんぶん2018年02月号】
  • バス停の数ほど対話を広げ9条の改悪ストップを!
    「新春のつどい」で暉峻淑子さんが講演 218名が参加 1月7日藤沢商工会館

    民商・神奈川県連は1月7日(日)、藤沢市内で2018年「新春のつどい」を開催。県内すべての民商から218人が参加し、「商工新聞で対話を広げて、『9条改憲NO!』の署名で改憲を許さない世論をつくろう」と気持ちを一つにしました。

    最初に主催者を代表してあいさつにたった鎌田保県連会長は「9条を守るため、新潟総会に向けて仲間を増やして前総会を突破し、9条改憲に反対する世論を巻き起こそう」と訴えました。また、来賓として、日本共産党から畑野きみ枝衆議院議員他2人が、立憲民主党から阿部とも子衆議院議員があいさつしました。

    人権を尊重し理解を広げる対話が大事


    次にメイン企画、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」をテーマに埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さんが講演しました。

    暉峻さんは最初に安保法制を強行採決する時に自衛隊出身の自民党議員が野党議員に暴力を使い、採決を強行したことに対し、ジャーナリストから非難する声がないことを指摘し、「社会保険料が高い」「年金が少ない」などの声を暴力で封じる社会になりつつあると話しました。そして、憲法を変えようとする時、「国民のための国家」から「国民を道具にする国家」に変わろうとしていて、戦前の「国のために国民は死んでもいい」という考えが今、広がっていることに警鐘を鳴らし、国民自身が国の動向をどう理解するかが問われていると訴えました。そして、改憲を推進する自公の支持者3割と改憲に反対する立憲民主や共産党の支持者2割の中間にいる5割の人たちにこの問題をどう伝えるかが改憲を許さない運動を成功させるカギになる事を指摘しました。

    暉峻さんはすでに自公政権は教育基本法を変えて、奉仕を子どもに強制させるなど人格を否定する教育が進んでいることを紹介し、人と違ったことをするといじめられる教育になっていると話しました。こうした状況の中で暴力を否定する民主主義の基本は話し合いを通して、決めていく社会であることを紹介し、個性を育て、人権を尊重し、理解を広げる対話が大事だと訴えました。

    「『戦争する国』の推進は個性や人権を否定することにつながり民主主義を壊すだけに対話によって、1人1人の国民の個性を大切にし、判断力を引き出して、改憲を許さない世論をつくろう」と訴え、「駅の数、バス停の数ぐらい対話を広げましょう」と話して、講演を終えました。

    「今年のひとこと」を発表


    第2部の最初は各民商と神婦協、神青協、神商連の代表による「今年のひとこと」発表。組織の代表が「ひとこと」を書いて参加者に示し、その趣旨を紹介して、抱負や決意を訴えました。厚木民商は「集まって話し合う」、平塚民商と横浜東民商は「対話」と示して、話し合いを広げる1年にしたいと話しました。また、「基本に立ち返る」は川崎幸民商。毎月の宣伝・拡大の定例行動を25カ月とりくんできた湘南民商は「継続」としました。「前進」をかかげたのは伊勢原民商で、三浦民商は「現状維持」と発表しました。「増やそう民商の仲間」としたのは大和民商。川崎中央民商が「増勢」、高津宮前民商が「拡」と多彩に新年の抱負や目標を語りました。

    恒例のお年玉は拡大推進委員の城所高男さんと参加者全員とのじゃんけんで4等1000円のお年玉が40人に渡されました。1等は多摩麻生民商の植野吉一会長がゲット。富塚昇副会長の閉会あいさつの後、植野会長の「団結・がばろう」で「新春のつどい」を終了しました。

    寄せられた感想から


    「対等平等に話し合い、お互いの気持ちがわかりあえ、共感が広がる対話の力に感銘しました。今、先生の本を読んでいます」

    「暉峻さんの話とも結びついて民商の代表の『今年のひとこと』でも、集まって話しあうことや対話を大事にしたいという発言が多かった。会員訪問やさまざまな集まりの話し合いを重視して、改憲を止める世論を広げたい」

    「サツマイモで特攻隊の少年兵を送り出す話など戦争を体験した者にとって、そうした場面を思い起こす話だった。これを体験していない人にどう伝えるか、考えている」

    「暉峻先生の講演で対話が民主主義の土台をつくり、自覚的な有権者を育てるという話は感銘を受けた。地域の仲間にも伝えたい」

    「井戸端会議のような講演の中から対話の大事さがスーッと自分の中に入ってきました」

  • 「集まって話し合う民商をつくろう」1月14日 川崎幸民商新年理事会

    川崎幸民商は1月14日、古川町会館において、新年拡大理事会を開催し、23人が参加しました。理事会の開催にあたり記念講演を企画し、日本共産党中央委員会政策委員会事務局長の神田米造さんに『世界で何が起こり、どうなっていくのか』というテーマで核廃絶の流れを中心に講演をして頂きました。

    昨年7月に採択された核兵器禁止条約について、アメリカ政府は会議に参加する各国に対し、条約が採択されないように圧力をかけたが多くの国はこの圧力に屈することなく採択するに至った。一部の大国が支配する国際社会から多くの主権国家が平等に話し合う社会に変化していると話がされました。

    講演に続き行われた理事会の開会挨拶では「原点に返り集まって要求を話し合う民商を作ろう」山岸会長が挨拶をしました。その後、春の運動方針が提案され、リレー拡大についても提起されました。近年、中小業者にとって厳しい時代で拡大が思うように進まない中、「どうすれば拡大が出来るのか?」積極的な議論が交わされました。議論の中で前婦人部長が「増やさなきゃ民商がなくなるよ!私がとりあえず新聞一部増やします」と心強い発言もありました。

  • 禰屋さんの黙秘が権力を追い詰める 1月12日 広島高裁が一審判決を破棄・差し戻し

    「原判決を破棄する。差し戻す」。裁判長の言葉に「よし」とおさえた声が傍聴席に響きます。裁判長が閉廷を宣言すると、傍聴席から拍手がわきおこりました。倉敷民商弾圧事件の一つ禰屋町子さんの法人税法違反、税理士法違反の事件の第1審判決が破棄され、地裁に差し戻されました。禰屋さんの無罪を勝ちとる光が見えた判決です。

    私は「倉敷民商弾圧事件神奈川の会」の鎌田保会長(神商連会長)と1月12日に広島高裁岡山支部でおこなわれた禰屋判決を傍聴しました。

    判決理由では木嶋査察官の報告書を鑑定書として採用したことに対し、@木嶋査察官の税や簿記の知識は普通であり、専門家と言えない、A鑑定書は木嶋査察官が部下に指示して書かせたものであり、また聞きの内容が含まれているとし、鑑定書になりえないと判断しました。また、裁判のあり方について争点を整理すべきと弁護側の主張と同じ指摘をおこないました。

    判決は税理士法違反の部分には触れず、禰屋さんは無罪ではなく、地裁で1から裁判をやり直すという判決です。闘いは道半ばです。しかし、禰屋さんの有罪を証拠になりえない鑑定書でしか立証できず、これが破棄されたということは、権力側ははじめから脱税事件をでっち上げるため、禰屋さんを自白させようとしていたということだと思います。禰屋さんが黙秘を貫き428日もの勾留につながったということです。組織をつぶすためには人権など顧みない姿が浮き彫りになりました。

    黙秘を貫いた禰屋さんの闘いが権力者を追い詰めていることを感じた判決でした。

  • 商売・人生を語る
    「泥臭くとことんやる民商で山を乗り越えた」戸塚民商 原 哲也さん
    清王工房 藤沢市高倉832-1-105 電話:090-9373-8366

    清掃業を始めて5年弱商売人、民商の一員としてまだまだ未熟者の語りです。

    昭和54年栄光の巨人軍に同姓のゴールデンルーキー原辰徳入団と同じくして高卒ルーキーの私も旧国鉄(現JR東日本)保線区入社。国鉄労働組合で分裂・民営化反対運動の最前線でたたかい目の敵にされ、JRに残れず退社しました。メガネ屋、保険屋、訪問販売、廃品回収、配送業等職を転々。この間自己破産と3度の生活保護、2度の離婚となかなかの人生でした。

    携帯電話以外はほとんどを失い公園で野宿生活をしていたある日、しばらく疎遠だった弟から電話が・・・。人生再ロードが始まる「神の電話」でした。建設業の社長であり民商の役員でもあった弟に相談し開業。「いろいろ役にたつから」と民商に入会しました。

    制度融資、税金等検討会の討論に参加してもさっぱりわからず、民商は自分が無知であることを知れる唯一無二の組織でした。そして会員の要求実現のために共に行動する「熱くて頼りになる仲間がいる!」こんなに泥臭くとことんやる組織が他にあるだろうか?・・・無い! 私自身も様々な相談をして難しい要求も仲間の協力を得て実現してきました。

    おかげさまで野宿生活からわずか5年弱で税務署から目を付けられる中小業者に成長しました(笑)。税務調査は現在進行形ですが、この山も頼れる仲間と乗り越えます。もっと経験を積んだら「今度は私の番!」次の仲間と行動するぞ!民商を紹介してくれた弟に感謝です!今の彼女にも感謝です!しばらくは民商に足を向けて眠れません。「商売・人生・民商」をこれからもたくさんの仲間と語れますように!

  • ふいごとそろばん 三浦民商 田淵 いつ子

    民商との付き合いは、三浦民商がまだ独立する前、横須賀民商のころからになります。横浜で生まれ育ちましたが、知り合いに誘われ20歳頃から三浦市で働き始めました。24歳で自分で商売を始めようとしたとき、店のお客さんだった民商の会員さんの紹介で横須賀民商に入りました

    ▼商売のことを教えてもらい、やきとりなどを出す飲食店を開き、結婚もしました。何年後かに麻雀店もやりはじめ、子供も生まれ、忙しい毎日を送っていました。その間に三浦民商が独立し、三浦民商に加入しました

    ▼昭和の終わり頃に飲食店を閉め、麻雀店に専念していましたが、平成元年に夫が他界。麻雀店のあるビルも建て替えることになり、建て替えたビルを購入して、2階で麻雀店を続けていました

    ▼しかし時代とともにお客さんも減り、麻雀店を閉店。今はビルの1階で弁当屋を開き、自慢の手料理を出しています

    ▼子供たちも独立し体も衰えてきましたが、元気なうちは商売を続けていきたいと思っています。

7つのまちがいさがし

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