【神商連しんぶん2019年06月号】
  • 「古色蒼然とした所得税法第56条はゴミ箱へ」
    4月24日 神婦協、所得税法第56条学習会開催

    4月24日、神商連婦人部協議会は神商連会館で浅井優子税理士を講師に、「所得税法第56条学習会」を開催。地方議員5人と14民商から50人が参加し、活発な質問、意見交換をおこないました。この学習会の開催はここ数年来の議員要請や議会の中でのやりとりを踏まえ、問題点を整理し、秋の全国業者婦人決起集会に向け、国会請願署名と各地の議会での採択を勝ち取るための勢いをつけようとの目的で開かれました。
    まず浅井税理士が、改めて所得税法第56条について説明。ルーツは明治26年の所得税制度の創設にさかのぼります。戦後に税制改正が行われ、世帯単位課税から個人単位課税にかわり税制の近代化がはかられました。しかし同居する親族の世帯単位の合算課税は残されました。立法趣旨は明治26年と変わりません。「家族間に恣意的所得分散のおそれを防止」。まさに明治が今も生きているのです。
    時代遅れの遺物としかいいようのない憲法違反の所得税法第56条ですが、学習会の中でさらにその不当性が明らかになりました。

     

     

    問題@ 税務署も定義できない「生計を一にする」

    同一家屋に起居しているか?世帯は別か?食事は別か?水道光熱費、電話代などの清算の有無は?など、税務当局のその時々の判断しだいでどうにでも解釈できる不安定なものです。そもそも「生計が一」の定義づけがどうあれ、同一生計であろうがなかろうが、労働の対価に対する報酬を認めなければならないというのが私たちの主張です。

     

     

    問題A 家業と家事との区別ができないのが業者

    家族従業者の働き方は多様です。家業と家事との区別をする発想がなじみません。運動の積み重ねから生まれた新しい観点です。
    今まで私たちは「子どもをおぶいながらの電話番、資金繰り、帳面つけ」や「自宅で家族の介護をしながら家業を手伝う」ことは、対価の対象にならない?と長い間考えてきました。しかし、そうではなく家事をしながら家業をすることが小企業の家族従業者の働き方であることを学びました。
    この視点は中小商工業以外の仕事に携わる多くの女性の願いでもあります。子育て、家事、介護をしながらでも自分の能力を生かして働きたいと考える多くの女性の要望でもあります。
    「女性の活躍」「働き方改革」というなら、家族従業者の8割を占める女性の多様な働き方を認めるべきです。働く女性の権利侵害である所得税法第56条の廃止勧告に従うべきです。

     

     

    問題B 個人の尊厳、置き去りにした所得税法第56条

    1946年(昭和21年)に新憲法が公布されたその時も、家族従業者は一まとめに無給の労働力として位置づけられ、現在に至っています。
    憲法13条「すべて国民は個人として尊重される。」という規定は、国が守らなければならない最も重要な憲法の基本原理です。個人の尊重(13条)、法の下の平等(14条)、国民の生存権、国の社会保障的義務(25条)違反の所得税法第56条は廃止させるしかありません。

     

     

    以上の視点で請願採択につながるよう、議員を粘り強く説得をすることが重要です。いわゆる税務課などは、すでに決定している法律に対して意見をいう立場にはないので、そこをあまり追及しても意味はなく、あくまでも議員に理解してもらえるよう働きかけていくことが必要だと話されました。

  • 参加者全員でディスカッション

    浅井税理士の講演を聞き、質疑応答や参加者全体のディスカッションが行われました。

    「議員は働き分を認めてほしければ青色にすればいい、とすぐ言う」ことに対して、「青色でも専従者給料の届け出が前提であり、給料の金額とは無関係に扶養にはなれないし、ダブルワークができない。ひとたび税務調査になり記帳の不備が指摘され青色取り消しがあれば、事業専従者給料も3年分取り消されてしまう。こうした多くの条件があり、決して人権としての働き分を認めているわけではない。白色申告も記帳義務化により、きちんと記帳している。青白の申告形態で差別するのはおかしい」

    「日本は国連から2度も『勧告』を受けているのに、日本政府は従おうとしない。『勧告』には、どこまで、実行力があるのか?」の質問には、「罰則付きの強制力があるわけではないが、2度も勧告を受けるということは、実行にむけて進んでいないということで、国際的にもみっともなく、先進国として恥ずべき事。運動を広げて財務省を追い詰めていこう。」と返しました。

    そのためには、この秋に開かれる全国業者婦人決起集会に向け、1会員10署名を集め、各地の議会へも旺盛に働きかけ、一つでも多くの請願採択を勝ち取ろうと意思統一しました。

  • 平和都市宣言を確かめて 5月17日 平坂・大磯・二宮を行進

    5月17日、平和行進が平塚、大磯、二宮を通り、平塚民商から6人が参加しました。 平塚市は1985年12月20日に核兵器廃絶平和都市宣言をおこない、平塚市内各所には「美しい地球を守るため核兵器の廃絶を」の看板が掲げられています。落合市長からメッセージと賛助金が寄せられました。

    9時30分に約150人、民商から山田貞子副会長を先頭に市役所を出発。「核兵器なくそう・平和がいいね」とピースコールをしながら、大磯役場まで行進しました。

    昼食後、大磯から二宮のコースには民商大二支部の小林淳子さんが歩きました。二宮町は「ガラスのうさぎ像の精神を忘れず、人類の永遠の幸福の為に平和と言う理想に向かって努力する」と平和都市宣言がされています。

  • シール投票で対話がはずむ 4月27日 川崎5民商が鹿島田商店街で宣伝

    4月27日に幸区・鹿島田商店街で川崎中央、川崎幸、川崎中原、高津宮前、多摩麻生の5つの民商が共同し、19人の参加で消費税増税反対の宣伝を行いました。川崎幸民商事務所に集合し、婦人部特製のカレーを食べ、事前学習をおこない、宣伝に出発しました。

    商店にシール投票のボードを持ち込み、「消費税増税に賛成ですか?反対ですか?」と問いかけると対話が弾みます。酒屋さんは「酒税の他に消費税まで払わせられてたいへん」と怒り、焼肉屋さんは「外食10%、持ち帰り8%だと外食の店はもっとお客が減ってしまう」と心配の声が上がりました。シール投票はお店にお客さんがいても気軽にシールを張ってくれるのが特徴。商店では賛成は1〜2人、ほとんどが反対でした。

    最後に鹿島田駅前でハンドマイク宣伝とシール投票を実施。ここでは反対と賛成がほぼ同数に。賛成にシールを貼った人の多くが「社会保障に使ってくれるなら」と条件付きの賛成でした。

    投票結果は増税反対が33人、賛成が14人。消費税の増税反対の世論は確実に広がっていると参加者一同が実感する宣伝行動となりました。

  • 仲間を増やして弾圧をはね返そう!

    4月25日に岡山国際交流センターで倉敷民商弾圧事件の勝利をめざす全国連絡会第4回総会が開催され、全国から200人、神奈川から5人が参加しました。

    小原・須増裁判では@小原さん、須増さんが作成した税務書類は適性を欠くものではなかったこと、A私利私欲を図ったものではなく、中小業者の営業と生活の保護を目的に活動していること、B自らの責任でおこなう申告は制限されないと裁判所が認めたことを確信に運動を進めようと報告されました。同時にそれでも有罪を下したのは最高裁の統制が強くなっていると訴えられました。

    禰屋裁判では広島高裁が「原審破棄・差し戻し」の画期的な判決を確信に、脱税の事実を示せない検察に対し、「引き続き、控訴するな」の抗議を届けることが提起されました。

    消費税8%に反対する運動を委縮させる目的でおこなわれた倉敷民商弾圧事件のたたかいの輪を広げることは10%ストップのとりくみと結びついています。仲間を増やして弾圧をはね返し、展望を切り開こうと意思統一しました。

  • 商売・人生を語る お客様の「来てよかった!」にちょっと胸キュン
    横浜緑民商「ヘアーエステパセージ」渡 京子さん
    横浜市緑区十日市場町847-1第5ベルビュ209 TEL:045-983-4198

    美容室『ヘアーエステパセージ』は、1989年6月にオープン。今年ちょうど30年の節目です。お城(笑)など何も造れなかったのですが、時代と共に平和に暮らせました。

    長いお客様は私が青葉台で勤めている時からご来店いただいています。ご本人、娘、孫と、三世代のおつきあいの方もいらっしゃいます。これからも、少しでも永くおつきあいできたらうれしいです。

    お客様に言われてうれしい言葉は、「いつもきれいにしてくれて、ありがとう」「来て良かった!」…やりがいを感じ、ちょっと胸キュン!

    横浜緑民商に入会したのは20年前、2度目の税務調査に入られた時。「頼れるのはここしかない」と思い、自宅とサロンの中間、ビルの2階窓に書いてある番号に電話しました。それまで全く面識のない、初めてお会いした支部の役員さんたちが、とても親身になってくださったことは、今でも忘れません。

    今度は、少しでも誰かの力になりたい…非力ですが、支部の共済担当としてがんばっています。

  • ふいごとそろばん 多摩麻生民商 植野 吉一さん

    私は昭和33年に父親と一緒に南武線久地駅から徒歩5分ほどの所で時計店を開業しました。昭和50年代に入ると大型スーパーの進出が問題になってきて、久地でもスーパー永井の出店反対運動がおこりました

    ▼当時、私は時計業界の今後に不安を覚えました。その頃、時計のクオーツ化が始まり、私は勉強の為に精工舎に研修に行きました。そして、クオーツを勉強する中でこれからはコンピューターの時代になることを実感し、昭和60年からパソコン教室を開業しました

    ▼当時のパソコン・ワープロは1台100万円以上もするとても高価なもので、まだまだ一般の人には手の届かない物でした。日商の試験に合格すると就職にとても有利な時代でしたので生徒さんは沢山集まりました

    ▼私は81歳になりますが、毎日のユーチューブで様々な情報を見ています。特に共産党の大門議員の「大門ゼミ〜政治・経済のキホンのキ!」という番組を興味深く視聴しています。また、国会中継のインターネット中継もよく見ます。みなさんもスマホなどでも簡単に見られますので情勢に敏感になりましょう。

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