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県内初!民商の要請に応えて 相模原市が事業主への傷病見舞金
相模原市の本村賢太郎市長は7月27日に行われた記者会見で、自営業者や市民の生活を困難にしている新型コロナ感染や物価高騰などに関連する新たな取り組みを検討していることを発表しました。
内容は、@国民健康保険や後期高齢者医療制度に加入する個人事業主が新型コロナに感染した場合、7万円(予算額約9千万円)の傷病見舞金を給付。申請については今年の4月まで遡って受け付ける A原油価格や物価高騰の影響を受けている高齢者施設・障害者施設(予算額約5億円)、児童クラブ・保育所(予算額約1億円)への支援です。詳細は、9月議会で提案するとしています。
現在、コロナ感染の場合、国民健康保険での傷病手当金の給付対象は被用者のみとなっており、相模原民商は市国保課との懇談・交渉の中で、事業主への対象拡充を繰り返し要請してきました(神商連しんぶん8月号で紹介)。
第7波とされる感染拡大のなか、身近なところでも陽性者が増えており、市長発表の新たな制度は、中小業者を励ます内容です。相模原民商では、「事業主への傷病見舞金の実施は県内初で、政令指定都市でも初めてで画期的な成果です。給付漏れのないよう宣伝し、声をかけ合って対象者への活用を呼びかけよう」と話し合っています。 -
物価高騰対策で自治体申入れ!業者要求の見合う支援を!小田原民商・神奈川県連
8月26日に神奈川県連と小田原民商は、小田原民商が担当する2市8町に地方創生臨時交付金を活用し、中小業者の営業と生活を守る施策を求める要請をおこないました。要請事項は@原材料や燃料費及び水道光熱費などの負担を軽減し、事業継続を支援する制度を創設すること。Aコロナ前との比較で売上が減少している中小業者の存続を支援する給付金や固定費補助などの制度を創設・拡充することの2点です。
多くの自治体でプレミアム商品券を実施しています。町民全体の生活の底上げをはかる視点から、全町民に配布する真鶴町や町の事業者の2件を除いて地元中小業者の経営支援につながるようにしている山北町などそれぞれが工夫をしています。
直接支援については国が持続化給付金を実施した時は50%未満の売上のところに独自で対策を打ち出していた例も多かったが、今回は多くの自治体が消極的でした。中井町のように過去に実施したが応募が少なかったことも影響しているのかなど、調べる必要があります。
商工会、信金と連絡を取り、情報を集めている自治体が多く、民商が業者要求を把握する取り組みが求められています。 -
元首相の「国葬」より国民のくらし守れ! 厚木民商
7月の参院選中に銃撃された安倍晋三元首相の国葬を9月に実施するという岸田首相の方針に反対の世論が広がっています。
8月2日、厚木市では厚木革新懇の呼びかけで国葬反対のスタンディング宣伝が本厚木駅北口広場で行われ、民商からも参加しました。参加者は次々にマイクを持ちリレートーク。「人の死を悼むのは個人の自由であり、強制されてはいけません」「安倍さんは、モリ・カケ・桜など、何ひとつ疑惑を解明する説明をしなかった」「多額の税金は国葬ではなく、コロナでひっ迫している医療現場や保健所などにまわすべきだ」などと憲法違反の恐れもある国葬について、自分の意見を訴えました。
8月7日には、立憲野党の市議たちの呼びかけで共同宣伝を同場所で行いました。立憲民主党や日本共産党のノボリを立て、野党共闘をすすめる「16区市民連合」からも多くの市民が参加しました。
スタンディング宣伝と合わせて10数人がスピーチ。厚木民商の下谷清人会長は「中小業者はコロナや円安・物価高騰で商売もくらしも大変な状況。国葬は税金の無駄遣いであり、中小業者支援にまわせ」と訴えました。
「国葬に反対?賛成?」のシール投票では、「反対」37、「賛成」2で、圧倒的に国葬反対の市民の意思が示されました。 -
一日も早い核廃絶を願う!原水禁世界大会に参加して
多摩麻生民商 一野恒臣さんの手配私は広島で行われた原水爆禁止2022年世界大会(8月4〜6日)に神商連から神奈川県代表団の一員として参加しました。神奈川の代表団は126人。新型コロナの影響で3年ぶりの開催でした。
初日の全体会では大会実行委員会の野口邦和共同代表がウクライナ危機に乗じた核使用や抑止力論を批判し、核兵器の禁止・廃絶を訴えました。その後、各国政府の代表や内外の反核・平和団体、国会議員が会場やオンラインで訴えました。
被爆者から「黒い雨」裁判の経過や被爆2世・3世の救済が置き去りにされている状況が訴えられました。プーチンの核先制使用発言に対し、「核兵器の使用や威嚇を許さない」という発言が相次ぎ、印象的でした。
2日目はテーマ別分科会「枯葉剤被害支援・連帯」に参加し、坂田雅子監督のトークを聴き、映画「失われた時の中で」を鑑賞しました。61年前のベトナム戦争で使われた枯葉剤の被害者と介護している親や被爆2世・3世の悲惨な生活の状況を映し出す映画です。
3日の広島デー集会は1600人の参加で、全商連の太田会長が司会を務めました。神奈川県代表団副団長の大井茂さんを先頭に25人が登壇し、「建設職人は平和への橋はかけても、戦争の橋はかけない」と発言。平和行進に寄せられた各県の自治体や団体のペナント14万本を参加者全員が連帯の力として手に掲げ、ウイシャルオーバーカムを唄いながら、閉会しました。
地球上で唯一の被爆国日本が世界の先頭にたって核兵器廃絶の行動をすべきです。一日も早く核兵器禁止条約に日本が署名するようがんばりたいと思います。 -
米軍基地はいらない!500回目の平和行動 大和民商
米軍厚木基地を抱える大和市では、県平和委員会と「平和とくらしをまもる大和市民連絡会」が呼びかけ、毎月第3日曜日に平和行進を行っています。この8月21日で500回となりました。大和市と綾瀬市にかけて広がる米軍厚木基地へのP3C哨戒機配備撤回を求めて、1981年1月に取り組んだのが始まりで、41年間続いてきました。
この日は大和駅周辺に約70人、大和民商からは8人が参加しました。厚木基地のオスプレイ整備・訓練拠点化を許すな!と訴えながら進むパレードに、沿道や車の中から手を振ってくれる市民の姿が多く見られました。
閉会のあいさつに立った大和民商の鈴木普会長は、「500回の節目の今日、基地撤去に向けた行動をさらに続ける決意の日にしましょう」と参加者に呼びかけました。 -
商売人生を語る「ここにあるものそこにいる人 みんなつないで楽しく暮らそう」
川崎中央民商(株)まごころをここに 大石 根哲さん
川崎市川崎区日進町12−21 電話:044−272−8874あきたこまち、こしひかり、ゆめぴりか―。お好みに合わせて精米し配達します!と、お客さんに重宝がられている町のお米屋さん。一方で、障がいを持つ人たちの活動の場所でもある石田精米店。大石根哲さん(38歳)が代表取締役を務める「(株)まごころをここに」が運営する障がい者施設です。
大好きなオートバイを販売する仕事に就いた哲さん。20代の終わりに独立したいと考えているとき、介護業をしている人に出会い、訪問介護の事業所を立ち上げようと決意します。物件を探していたところ、生まれ育った川崎区にある米屋の店舗を紹介され、地域密着で長年頑張ってきたお米屋さんをそのまま活かそうと決め、スタートしました。
米袋づくり、精米、量って袋詰め、配達などの他、様々な手仕事が利用者さんの日課です。お父さんの正さんは施設管理者でもあり、哲さんの取り組みを支える力強い相棒です。20人が利用するこの施設と併設の訪問介護事業は、6歳から100歳までの障がい者・高齢者の方々を対象に、放課後サポート、移動サポートなどと合わせ、多様なサービスを行っています。
閉店を決めた知り合いの居酒屋を借りて、宅配弁当事業を。後継を託されたNPOの工房では障がい者の地域活動支援を。隣の幸区ではお母さんの恵子さんが管理者で、障がいがある女性8人のためのグループホームを。事業立ち上げからおよそ8年、哲さんは、人のつながりやめぐり合う物件、それらの条件をそのまま生かして取り組みを広げてきました。
いま、利用者とスタッフで盛り上がっているはボッチャ。パラリンピックの正式種目になっている障がい者のために考えられたスポーツです。地域の小学校の夜間体育館貸出事業の利用が少ないと聞き、ならば!と始めました。「みんなどんどん上達し、大会で優勝するなどすごいんですよ。パラ出場をめざしています」と目を輝かせる哲さん。地域にある人材や資源を制度と結び付け、自然体で事業を拡張。23歳から83歳まで60人のスタッフが力を合わせ、地域の障がい者や高齢者の日常を応援。その要となって頑張る哲さん、「すべて結果となって自分に跳ね返ってきます。やりがいを感じています」と、その表情は希望でいっぱいです。
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ふいごとそろばん 川崎幸民商 渡 鏡子さん
鹿島田商店街で商売を始めたのは昭和59年、39才時、車の免許もとって、次は何をしようかな?と、友人と二人で喫茶店でお茶を飲んでいたら、正面に貸店舗の看板を見つけ気軽に不動産屋に相談したが断られもしなかったのでその場で決断しました
▼家に帰り、家族に相談したら大変怒られましたが、特に止めろとも言われなかったので開店しました。今、思えばとんでもない話だと思いますが当時は景気も良くスナックもドンドン増えていました
▼カラオケの出始めで、右も左もわからない私でも酒屋さんに教えてもらいながら営業していました。民商との出会いは開業から半年くらいして事務局員がやってきて入会をすすめられました。商売を始めて日も浅く、知らない事も沢山あったので、入ってみるかなと入会しました
▼民商は運動会やキャンプ、海水浴などの活動が沢山あってすごく楽しかったです。多くの人達と交流をする中で婦人部に入り、みんなと楽しくおしゃべりしながら活動してきました
▼今は当時と違い、景気も悪く、若い人は必死に働く中で活動に時間を割くのが難しいようですが、民商活動で得た仲間との交流は何ものにも代えがたい経験です。